2010年3月23日火曜日

目赤、裏の裏


五色不動尊。
目黒、目白、目赤、目黄、目青があると云う。

通称、目赤不動尊。南谷寺は文京区の本駒込にある。
三代将軍家光が、目赤不動尊とせよ、と命じたらしい。

不動尊。
不動明王とは大日如来が衆生を救う為に憤怒の姿になったものだとされている。
心の内外の悪魔を祓う。

そういう事なら、不動様にお詣り致さなければ。
ひざを打って出かけた。


地図を頼りに裏通りを歩く。

空虚な空にカラスが一羽ついてくる。

はるか上空で輪をかいていたと思えばふいに目の前に現れて、首をかしげたりする。

裏通りは、民家や古寺の壁などがメイズの様に並び、やたらと視界を狭くしている。

昭和の匂いを残す長屋の路地裏に迷い込んだりもした。

ひとこと昭和の匂い、で片付けてしまいたいのだが、想像力を働かせてしまうと、ややともすると陰惨な事件の一つや二つあったのではなかろうか、と思わされるほどの匂い、なのだ。

やせた猫がオレが通りすぎるのを庭先でやりすごす。
猫は、異界への案内役だと云う。

折りも折り。日が陰りだす時間。

辻を曲がらなければ景色に変化はなく、かといって辻を曲がったところで、さほどの変化もないような、およそ不吉な界隈と云ってしまうとあまりに失礼だが、不安げな予感におびえてしまう。

いや、異界、魔界への入り口は、こういうところにあるのだ。

不安と云うよりも、シビレに似た陶酔に、気分が昂揚しているのである。

鎖を引きずる老犬に吠えられておびえても刹那のこと、ちぇっビックリさせやがって、などと気を吐く余裕はあるが、この安堵できないただならぬ雰囲気はなんだ。

そういえば人を見かけない。


どれほど時間がたったのだろう。地図を広げても、今居る場所がない。
老犬はいまだに吠えたくって、素どおしの空にインインと響き渡っている。

オレは頭を抱えてめくらに走りだした。

辻を曲がり辻を抜けて、迷い迷いして、目赤不動にたどり着いたら入り口は本郷通り沿いだった。

表通りである。

裏の裏は表なのだ。

おもしろくもない。


リュウスケ

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